6月に不肖私が、愛知県吉良町で、「塩が重要な役割の某料理講習」と「塩の講義」をする企画が進められています。吉良町といえば、赤穂浪士討ち入りで討たれた吉良上野介の地であります。元禄15年(1702年)12月14日 雪の降り積もる江戸の本所松阪町で起こった赤穂浪士の吉良邸討ち入り事件。この忠臣蔵も「塩」が関係していたとの説もあるので、ご紹介します。
吉良所領の三河では天文年間(1532~1555年)より塩田を築いて塩の生産を行っていました。元禄元年(1688年)には富好新田をつくるなど製塩に力を注いでいたのです。このとき、当時有名な塩どころだった赤穂藩へ技術援助を申し入れたそうです。しかし浅野家では「これは秘伝で、教えることはできない」と断ってきました。その後、吉良方のスパイが製塩技術を探ろうとして捕らえられ、処刑されたということから、両藩に因縁がついてしまったという説です。
こんな地で塩の話ができるのは光栄でありますね。6月には他にもプロの料理人を前に「塩の講義」が一本決まっています。塩を勉強してつくづくよかったと思う今日この頃です。
2018.04.18.
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